昭和時代のトップアイドル「山口百恵」

                    

「大きなソニー、大きな新人」のキャッチコピーで世間を席巻した「山口百恵」

山口百恵は1959年1月17日、東京都渋谷区に生まれました。1972年(百恵13歳)、森昌子に憧れてオーディション番組「スター誕生!」に出演し、準優勝をしたのをきっかけに芸能界へデビュー。

同番組からデビューした、同学年の森昌子・桜田淳子と共に「花の中三トリオ」と呼ばれ、ファンに親しまれました(愛称:モモタロー)。特に桜田淳子とは同じ学校に通っていたこともあり、仲が良かったそうです。子供ながら芸能界に身を置く彼女としては、同世代の友人がいることは心強かったことでしょう。

5枚目のシングルとして発売された「ひと夏の経験」は、累計売上75万枚を記録する大ヒットとなり、トップアイドルとして世間に広く認知されます。純粋な少女が性行為を連想させるような内容を歌うことで「危ない少女」のイメージを確立し、ミステリアスで大人っぽい独自の路線でファンを魅了していきます。また、作曲者を自ら指名するなど、ほかのアイドルには見られないこだわりや意志の強さも大きな魅力でした。

そして、日本歌謡大賞新人賞、日本レコード大賞大衆賞、日本テレビ音楽祭 トップ・アイドル賞など、数々の賞を受賞しました。デビューした年から引退した年までNHK紅白歌合戦に連続出場し、史上最年少の19歳で赤組のトリを務める快挙を達成、この記録は2019年現在も未だに破られていないというのは驚きです。紅白歌合戦のトリは大物の演歌歌手が務めるというのがそれまでの常識でしたが、これ以降、若手のミュージシャンがトリを務めることも増えてきました。このことから、山口百恵が紅白歌合戦の歴史を変えたと言っても良いのではないでしょうか。

また、女優としても「伊豆の踊り子」や「赤い疑惑」など数々の映画やドラマ、CMに出演して活躍しました。主演ドラマは11作、主演映画は16本という売れっ子ぶりです。アイドルとしての、見た目の可愛らしさだけではなく、演技力や表現力も身に着けていきます。この時いろいろな作品で共演した三浦友和氏とは「ゴールデンコンビ」と呼ばれ、後の人生に大きな影響を与えます。

歌手業と女優業の両方で活躍するなか、1979年10月20日(百恵は当時20歳)、俳優の三浦友和と結婚を前提とした交際をしていることを発表します。同時に芸能界引退も公表し、翌年、日本武道館でファイナルコンサートを開催します。当時ファンであった人なら、相当な衝撃を受けたのを覚えている方も多いでしょう。純白のドレスでファンに深く一礼をし、白いマイクをステージに置いて去っていく最後のシーンは、多くのファンに涙と感動を与え、社会現象にもなりました。育った家庭環境や芸能人としての生活、性体験について記した自叙伝「蒼い時」は340万部を売り上げ、ベストセラーとなりました。

引退後は2人の息子をもうけ、芸能界とは距離を置いて生活しており、息子はそれぞれ俳優や歌手として活動しています。

次々とヒット曲を飛ばす「青い性路線」

1973年にリリースした5枚目のシングル「青い果実」では、初めてのオリコンベストテン入りを果たしました。

その後も独自の「青い性路線」で次々とヒットを飛ばし、24枚目のシングル「いい日旅立ち」ではシングル売上53万枚を突破しました。累計シングル売上ベスト5は、1位「横須賀ストーリー」、2位「いい日旅立ち」、3位「冬の色」、4位「プレイバック part2」、5位「赤い衝撃」となっています。

そのほか「パールカラーにゆれて」「夢先案内人」でもオリコン1位を獲得し、デビューから引退までのシングルの売上は、なんと累計1630万枚、LPは45作累計で434万枚を売り上げました。

事務所と山口百恵の関係

山口百恵が当時所属していた、東京都目黒区にある「ホリプロ」の本社ビルは、彼女の成功によって建てられたものだったことから「百恵ビル」とも呼ばれています。

引退したのは1980年10月15日に行われた「ホリプロ創立20周年記念パーティー」で、最後に「いい日旅立ち」を歌ったそうです。この曲は、幸せを探しに旅に出るときの心境を表した歌詞になっており、結婚を控えた本人の心境をあらわすのにピッタリ合っています。

実の父親には別の家庭があったと言われていることもあり、自分こそは暖かい家庭を築こうとした決意の表れであったのかもしれません。ホリプロ創業者の堀 威夫は、山口百恵の結婚式で父親役として出席しており、信頼関係が強かったことが伺えます。

芸能界引退後もカバーされ愛され続ける

現在は一般女性として、静かな生活を送っている山口百恵。視聴率30%を超えた名作ドラマ「赤いシリーズ」は必ず観ていた!という方は多いのではないでしょうか。

芸能人としての活動は約8年間という短い間だったにもかかわらず、現在も昭和時代のトップアイドルとして広く知られています。

最近では70年代のアイドルブームが再燃していることもあり、彼女の映像作品である「伝説から神話へ 日本武道館さよならコンサート・ライブ」がブルーレイで発売されるなど、若い人からシニア世代まで、山口百恵に触れる機会が増えています。歌手の徳永英明や鬼束ちひろがカバーしたCDもリリースされているので、オリジナルとは違う角度から聴いてみたり、子供やお孫さんと一緒に聴いてみるのもオススメです。

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