吉永小百合について
吉永小百合は、数々の名作映画に出演した女優であり、また歌手としても知られています。1945年3月13日に三姉妹の次女として東京で生まれた彼女は、1957年の小学6年生時に連続ラジオドラマの「赤銅鈴之助」に公募で選ばれて出演が決定。声での出演を経験した後、同年10月にはテレビドラマ版「赤銅鈴之助」に出演してテレビデビューしました。
1960年、都立の名門といわれる東京都立駒場高等学校の全日制普通科へ入学。それと同時に日活撮影所へも入社しました。17歳当時には高校在学中でありながら、浦山桐郎監督作品「キューポラのある街」へヒロイン役として出演し、ブルーリボン賞を受賞しました。17歳で同賞を受賞したのは吉永が当時最年少で、2012年まで史上最年少記録とされていました。高校生で名誉ある映画賞を勝ち取るとは、この頃から彼女の大女優の素質が表れていたのでしょう。
以降は多くの映画に出演しながら、同時に映画賞も次々と受賞していき、名実ともに日本の大女優と呼ばれるまでになりました。
歌手としての吉永小百合
初めてブルーリボン賞を受賞した1962年、吉永は歌手としてもキャリアをスタートしました。
自身初のレコード「寒い朝」でデビューするやいなや、いきなり20万枚をのヒットを飛ばします。そして、続く橋幸夫とのデュエット曲「いつでも夢を」は30万枚の大ヒットとなり、「第4回日本レコード大賞」を受賞するに至りました。女優としてはすでに知名度のあった吉永でしたが、歌手としての長いキャリアがあったわけではありませんでした。この大ヒットには日本中が驚かされたことでしょう。
以後はご存じの通り、たくさんのヒット曲を送り出していき、歌手としての人気も絶頂に。NHK紅白歌合戦にも1962年から5年間連続で出場していました。
脱・清純派のために大胆な演技も!?
1960年台から清純派女優として人気を博していた吉永小百合ですが、1970年代に入るとヌードなどの果敢な演技も披露する若手女優が次々と登場。
清楚なイメージが強かった吉永は次第に映画界での印象が弱まっていってしまいました。元々娘役などが多かった吉永は、そうした清純派のイメージから脱却するように段々と“大人”な演技を披露するようになっていきました。
1984年の映画「天国の駅 HEAVEN STATION」では、三浦友和と共にラブシーンを熱演。その撮影では、緊張する三浦に対して「もっと大胆にやってよ」と吉永がダメ出しをして、20回以上もNGが出たとか。その後吉永は、清純派を殻を破って大人の女性へと成長していき、演技の幅広さを武器に多くの作品出演をこなしていきました。
大物芸能人までもがみんな”サユリスト”
女優として、そして歌手としても成功を収めてきた吉永小百合。いつの頃からか、吉永小百合の熱心なファンは「サユリスト」と呼ばれるようになりました。
これは名前の“小百合(サユリ)”に、英語の接尾辞“-ist(イスト)”をつけた造語です。映画や歌で彼女の虜になった人は数知れず、一般の人々の中にサユリストはたくさんいますが、実は芸能人や著名人の中にもサユリストが多いのです。
テレビ番組「笑っていいとも」の司会などで有名なあのタモリも、熱狂的なサユリストの一人。若いころから吉永に憧れを抱いていたタモリは、「どうしても会いたい」という一心から吉永が早稲田大学在学中に、浪人して自分も早稲田大学に入学。しかも第二文学部という学部まで同じところを選択していました。入学後は学食のおばさんにリサーチをかけて、吉永が現れる機会を伺っていたとか。そして偶然にも吉永を学食で発見したときは、吉永の食べ残しの皿を舐めようか迷ったというエピソードまであります。今の時代で考えると、かなりギリギリの追っかけですね。
またそんなことを知ってか知らずか、吉永はタモリを初めて見たときは「好きではなかった」と話しています。この発言は1982年のテレビ番組「今夜は最高!」で両者が共演した際のトークで話されていました。テレビでの共演はこれっきりで、以後は共演がないままでした。そんな中、「笑っていいとも」の最終回では製作陣の尽力もあって中継で吉永が出演し、30数年ぶりにタモリと共演。お互いに言葉を交わしていましたが、タモリは本当に嬉しそうな笑顔を浮かべていました。
他にも作家の野坂昭如、元プロ野球選手の小宮山悟、漫談家の綾小路きみまろなどもサユリストとして知られています。特に綾小路きみまろは、吉永の主演映画「まぼろしの邪馬台国」で共演しています。吉永が彼のファンであり、吉永からラブコールを送って出演を依頼したとのこと。憧れの大女優から直接映画の出演依頼が来るとは、サユリストとして天にも昇るほど嬉しかったのではないでしょうか。
多くの著名人に愛された女優
芸能界の大物までも虜にしてしまう吉永小百合。たしかに還暦を迎えて以降もその美しさには定評があり、テレビや映画で見かける度に心が惹かれる人も多いことでしょう。昭和時代には日活作品に多く出演してきているので、これを機に今一度彼女の活躍をあらためて見てみるのも面白いですよね。