ささやく歌声「ちあきなおみ」の経歴や代表作をふり返る

                    

「ちあきなおみ」は、1947年生まれで東京出身の歌手です。1969年、オーディションがきっかけで歌手デビューし、1970年には「四つのお願い」でNHK紅白歌合戦へ初出場しました。1972年には、大ヒット曲となった「喝采」で話題となり、日本レコード大賞を受賞。その後もレコード会社を移籍しながら多くの名曲を歌い続けてました。
ハスキーがかったささやくような歌声が、楽曲により深みをもたらし、その歌唱力は周りの業界人からも高く評価されています。あの美空ひばりとも度々比較され「美空ひばりに対抗できるのは、ちあきなおみだけだ。」と言われるほど、その歌声は多くの人の心を揺さぶりました。

伝説ともいわれた昭和ソロボーカリストの神髄

「ちあきなおみ」は、1947年生まれで東京出身の歌手です。1969年、オーディションがきっかけで歌手デビューし、1970年には「四つのお願い」でNHK紅白歌合戦へ初出場しました。1972年には、大ヒット曲となった「喝采」で話題となり、日本レコード大賞を受賞。その後もレコード会社を移籍しながら多くの名曲を歌い続けました。

ハスキーがかったささやくような歌声が、楽曲により深みをもたらし、その歌唱力は周りの業界人からも高く評価されています。あの美空ひばりとも度々比較され「美空ひばりに対抗できるのは、ちあきなおみだけだ。」と言われるほど、その歌声は多くの人の心を揺さぶりました。

幼少期から歌手デビューまで

東京都の板橋区で1947年に生を受けたちあきは、母親からの影響で4歳の頃からタップダンスを習うようになり、5歳のときには日劇のステージへ上がりました。

その後も歌とダンスの練習を重ね、13歳の頃から本格的に歌手としての下積み活動をスタート。主に米軍キャンプ、ジャズ喫茶など中心に日本全国で歌い続けて経験を積み、時には橋幸夫やこまどり姉妹など人気歌手の前座を務めることもありました。

歌手としての実力をつけていったちあきは、日本コロムビアのオーディションを受けたことがきっかけで(オーディション結果は保留であった)、作曲家の鈴木淳へ師事することになりました。

1年4ヶ月のレッスンを重ねた1969年、ちあきが21歳のときにシングル「雨に濡れた慕情」で念願の歌手デビューを果たしました。このシングルは約17万枚を売り上げて、オリコンで最高23位をマークするヒット曲となりました。さらにこの楽曲で、「第1回日本有線大賞」の“期待賞”も受賞。プロ歌手としてはとても順調なスタートを切ることができました。

日本コロムビア時代、大名曲「喝采」の誕生

歌手デビューの翌年となる1970年には「四つのお願い」、「X+Y=LOVE」などのヒット曲を発売していき、いわゆる“お色気アイドル”路線で活躍するようになります。この頃にはテレビ番組にも出演して体当たりな仕事もこなすようになっていました。

そして、1972年にシングル「喝采」を発売。昭和歌謡の名曲のひとつとして今日においても高く評価されている大名曲であり、これがちあきの代表曲となりました。この楽曲でちあきは「第14回日本レコード大賞」を受賞し、オリコン調べでは計80万枚を売り上げたという大ヒット曲となりました。

ちなみに楽曲の歌詞は当初、「ちあきの実体験を元にして作詞された」という宣伝文句でプロモーションが展開されていきましたが、実はフィクションでした。実際には、ちあきが慕っていた男性役者が急死したことと歌詞の内容がたまたま似ている部分があったために、先のようなプロモーション戦略を打ち出したとされています。

テイチクへ移籍、ミュージカルへも出演

すっかりお茶の間を賑わせ、歌手・音楽家として高い地位を築いていたちあきは、1988年にテイチクへ移籍。シングル「役者」や「黄昏のビギン」、「星影の小径」などの人気曲をリリースし続けていきました。

そんな中、1989年11月に初の舞台作品としてミュージカル「LADY DAY」へ出演。ちあきが主演としてジャズシンガーの役を演じました。ほとんど一人芝居という内容ながら、ちあきの持つ歌唱力や演技力で観客を圧倒、翌年にも再演されるなどして好評でした。さらに1991年には別の舞台「ソングデイズ」で主演を務めるなど、舞台女優としての活動も活発に行なっていました。

夫との死別、そして芸能活動休止へ

ちあきなおみは、1978年に俳優として有名だった郷鍈治と結婚しました。郷はちあきの実家へ婿入りし、ちあきの個人事務所を設立、そして郷自身が社長兼マネージャーになりました。

結婚後のちあきは「充電期間」として一時期活動ペースを落としていましたが、歌手以外にも女優としてテレビドラマやCMなどにも出演。1988年にはレコード会社のテイチクへ移籍し、本格的な歌手活動を再開していくなど、順風満帆とも思える活動を行なっていました。

しかし1992年、夫の郷が肺癌によって逝去してしまいます。10年以上連れ添った夫との死別は、ちあきに大きなショックを与え、郷が火葬される際に「私も一緒に焼いて」と泣きながら話していたそうです。

この後、「静かな時間を過ごさせて下さいますよう、よろしくお願いします。」と書面でコメントを発表したちあきは、歌手活動・女優活動など含めた全ての芸能活動を完全にストップさせました。突然の活動停止に世間も関係者も困惑しましたが、周囲の人間は「少しの休止期間だろう」と思っていたそうです。

しかしながら、以降に明確な引退宣言などもないまま2016年現在でもちあきは芸能活動を行なっておらず、公の場には一切姿を現していません。

芸能活動を停止してからすでに20年以上が経つちあきなおみ。彼女はもはや“伝説”として語り継がれるほどの存在になっており、往年のファンはもちろんのこと、活動停止後に彼女を知った人も多いでしょう。今でも彼女の歌声を再び聴きたいと求めている人は多く、テレビ番組などでも度々異例の特集が放送されており、これだけの時間が経過してもちあきは愛され続けています。

今もなお愛され続ける歌声

昭和時代からの歌を聴き続けていた世代にとって、再び聴きたい歌声といえば、ちあきなおみの歌声でしょう。あの美空ひばりにも匹敵するといわれるほどの歌唱力は21世紀になった今でも、私達の心に響き続けています。

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